自己啓発に疲れた人が読むブログ

大きな声では言えないことを書きます。

【大きな声で言えない事】「大学生のうちに遊んどけよ~」って言ってくる社会人が苦手。

 

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グランドサマナー

 

 

大学生時代、社会人の人から定期的に言われる台詞の中に

 

「社会人になってからは遊べないから、大学生のうちに沢山遊んでおけよ~」

というのがありました。

 

反対に、

「学生も楽しいけど、社会人は社会人で楽しいよー」

というのもありました。

 

言われたことはありませんか?

もしくは、言ったことはありませんか?ドヤ顔で。

 

 

 

私は前者の言葉が苦手でした。

そして自分が社会人になってから、苦手から嫌いに変わりました。

 

言った本人自体は良かれと思ってアドバイスのつもりで

仰られたのだと思います。

 

しかし、この台詞、あまりにも傲慢すぎませんか。

 

 

 

私自身が大学生で言われた時は、

「あなたが就活で失敗した結果遊べないだけじゃないんですか?」

とすごくモヤモヤしました。

 

 

 

事実、自分が社会人になった今、すごく楽しい。

もちろん平日は仕事ですが仕事が終われば飲みに行けるし映画も見れる。

土日はお出掛けできるし、有給を金曜日か月曜日に取れば旅行も行ける。

 

仕事自体も面白いですし、仕事以外の時間も楽しいです。

 

 

となると、

「社会人になったら遊べない派」の人達は

社会人生活の何が不満なのでしょう?

 

平日は終電ギリギリまで仕事?

土日もサービス出社?

自分の時間が確保できない?

 

それって、

「学生時代に生産性の無い遊びに惚けていたから」

ではないのでしょうか?

 

①学生時代沢山遊んだ

②就活で失敗して適当な会社に入り、社会人になると遊べない

 

という理屈が成立するのであれば、上記の

「大学生のうちに遊んどけよ~」

という言葉はアドバイスでも助言でもなんでもなく、

最悪のサイクルを生み出す最低の言葉になってきますね。

 

もちろん、充実した大学生生活を送られたのちに

就活でも志望法人に就職して、充実した社会人生活を

送られている人は沢山います。

 

反対に、大学生の頃は勉学に励まれていましたが、

社会人になってから大変そうにされている人も

沢山います、

 

さすれば、台詞の中の

「遊ぶ」

という言葉の意味が大事になってきそうですね。

 

 

 

私の偏見色が強くなるのであくまで一個人の意見ですが、

有意義な「遊び」というのは

①多数の意見を聞く機会を得る

②自分の趣味を大事にする

という点にあるのではないかと思います。

 

①は自分が田舎から東京の大学に来てよかったな、と思う

大きな要素です。

都会には沢山人がいます。

目をつぶって石を投げればだいたい人にあたる。

 

不特定多数のヒトは苦手ですが、

名前と顔が一致する人間は好きです。

 

年齢・性別・職業・地位など一切関係なく、

様々な人間の考え方や思考プロセスを伺えるのは

大学生の頃に沢山機会があってよかったなと思います。

 

もちろん、他人の考え方ですから、

ウンウンと同感するものもあればえぇ・・・と感じる考え方も

あります。

 

ここで大事なのは、

「自分とは異なる人間の発想に触れる」

ことなのです。

 

同感すれば、確かにな。で終わり。

意味が分からなければ聞いて、質問して、そういう考え方もあるんだー

と感じる。

 

その繰り返しによって自分の見聞が広がっていくのは気持ちが良いです。

また、自分と異なる考え方のヒトと出会っても

「そーゆーヒトもいるよね」

と落とし込める。

 

どうせ遊ぶのであれば、同じサークルやバイト先の人ばっかりだけじゃなくて

新しい輪っかに飛び込んで見知ったヒトと接触し、新しい思想に触れるもの

良いんじゃないかと思います。体力使いますが。

 

 

 

②の趣味は言わずもがなです。

現在資本主義っぽいのを採用している日本では、仕事が生活の大部分を

占めているヒトがほとんどだと思います。

しかし、仕事はあくまでゴハンを食べるために行う行為であるということを

忘れてはいけません。

不労所得により仕事しなくても生活できるような状態になれば、

仕事なんて速攻辞めて自分のやりたい事をやりませんか?

 

仕事はもちろん出来るようになれば楽しいです。

新しい事を覚えていくのも面白いし、分からない事にぶつかるのも

面白い。

 

でもそれはあくまで

対価として報酬を得ているから

なのです。

 

仕事を生きがいにしている人は、

もしその仕事で見返である給与がなくなっても続けるのでしょうか?

 

そのヒトから仕事を引いたら何も残らない、

という事態ほどつまらないモノはありません。

 

矛盾しているようにも感じるかもしれませんが、 

仕事一辺倒のヒトよりも、仕事以外の時間の使い方がうまいヒトの方が、

仕事もよく出来ます。 

 

 

 

話がだいぶそれました。

 

社会人=仕事ばかりで他になにも出来ない

 

とうのは就活をなあなあで行ったヒトが言うセリフです。

まして、これから無限の可能性を秘めた学生に向かって言うなど

言語道断ではないでしょうか。

 

儒教を信仰されているヒトでない限り、

年上だからといって無条件に敬う必要はないのです。

 

自分がもっと知りたいと思えるヒトについていけば、

得られるもの大きいと思います。

 

せっかく人間に生まれたのですし、

やらされることだけじゃなくて自分のやりたい、

人間らしい生活を楽しんでみませんか?