「幸せを呼び寄せる・・・」に踊らされる、幸せから遠ざかっている人達。
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『幸せを呼び寄せる〇個の方法!』
『幸福になるための簡単〇ステップ♪』
一時期流行りましたね。
今も流行っているのでしょうか。
昔この手の本が好きだったので、よく読んでいました。
結構真面目にステップやってました。
現在、不幸でないにせよ、そーんなに幸せでもありません。
不幸でないことを喜ぶべきかもしれませんが、
幸せになっていない時点でこれらの本の趣旨とは反しています。
もっとガッツリ浸っていれば、幸せになれたのかも
しれません。
しかし、
「幸せを呼び寄せる」
というワードに違和感を感じた途端、壮絶な賢者モードになってしまいました。
「今の私は幸せじゃないけれど、幸せはこの世のどこかにあって、お祈りしていればいつか私の元で幸せがやってくる」
的な発想。(※所説有)
物足りないのです。
もっと幸せに対してアグレッシブであって欲しい。
「金!女!権力!地位!欲しいいいぃぃぃ!・・・祈ろう。」
とはならないんじゃないかと思います。
もっと幸せに戴して積極的であって欲しい。
ちょこっと私生活を工夫したくらいで幸せになれるなんで、
おこがましいと思いませんか?
それでやってくる幸せは、その程度の幸せなのではないですか。
でもさすがベストセラー、ちゃんと返し言葉を用意しています。
「他の人からすれば取るに足らないことかもしれません。しかしその小さな幸せをかみしめられるあなたは、今一番幸せなのです。」
・・・。
えぇ・・・。
幸せの度合を図る物差し生き物によって違うでしょう。
同じ人であっても、おそらく違うはずです。
人の幸せを小さいと笑うのはよくない。
でも、どうせならもっと高い所を目指して欲しい。
その「高い所」がどこを指すかも人によって違うのが難しい所ですね。
2017年現在、資本主義を採用している日本では貨幣的価値・またはそれに準ずるものが公平に価値持つものとして流通しています。
お金で買えない価値があるのも確かですが、お金で買える価値も沢山あります。
質素倹約を旨とする人に5,000兆円渡してみてください。
きっと豪遊します。
脱線しましたが、
「幸せを呼び寄せる方法」だけに固執して欲しくないのです。
自分からガツガツしても良いですし、反対に興味がなくても全然良い。
よくないのは、方法にこだわり過ぎることです。
自分に素直に、というのは難しい話ですが、
本に書いてあることにこだわらず、
自分のやりたい事をやってみて下さい。
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